Mt. Moriah BAPTIST CHURCH


4月11日(日)午前10時過ぎ、私達はラディソン・ホテルを後にし、
インディアナ州のゲイリー市内にある、
マウント・モライア・バプティスト教会に向かった。

この教会で午前11時から「Easter Worship Service」があり、
菊田俊介さんは教会のバンド・メンバーとしてギターを演奏される。

2月の下旬頃、ゲイリー空港のオープニング・セレモニーが行われた際、
菊田さんはご自身のバンドを率いてギターを演奏した。
その会場にたまたま居合わせたのが、
この教会のマリオン・ジョンソン牧師(Pastor)で、
彼は菊田さんのギターを聴いて、その響きに「ソウル」を感じ、
教会のメンバーになって欲しいと懇願したらしい。
菊田さんがジョンソン牧師の熱意に応え、
教会の正式なバンド・メンバーとして初めてギターを演奏したのが、
4月4日のことだった。
そのいきさつや教会に関する詳細は、菊田さんの日記に書かれている。

私は菊田さんから
「もしよろしかったら教会のゴスペルを聴きませんか?」
というお誘いを受けた時は、本当に心から嬉しく思った。
なぜならゴスペルは、
B.B.キングやエルヴィス・プレスリーのルーツとなる音楽のひとつだからだ。
マディ・ウォーターズも幼い頃教会に通っていた。
ほとんどのブルース・シンガーは幼少期に教会へ通い、
牧師のお説教を受けて、ゴスペルを歌っていた経験を持っている。

黒人達にとってゴスペルとはどのようなものなのか?
そしてブルースとの関係は?
そのようなことを直接肌で感じてみたいと、長年思い続けてきた。
したがって今回、生活に密着した生のゴスペルを聴けることは、
私にとっては無上の喜びだったのである。

日本では、キリスト教系の学校に所属していたり、
個人的に信者であったりする場合を除いては、
教会とのお付き合いは無縁に等しい。
しかし、アメリカでは各地にいろいろな宗派の教会が存在し、
ほとんどの人がいずれかの教会に所属していると聞く。
「日曜日は教会で」という考え方が人々の生活の中に浸透しているのだ。

30分程車に乗り、マウント・モライア教会に到着。
瀟洒な教会を見上げると、屋根の上の尖塔が青空に溶け込み、
まるで天はすぐ近くにあるという事を指し示しているかのようだった。

初のゴスペル体験に胸を躍らせながら教会の中へと入っていく。
菊田さんは私達をジョンソン牧師や
「ファーザー」と呼ばれる教会の世話人の方達に紹介してくださり、
皆さん笑顔で迎え入れてくださった。
男性の信者は皆、黒のスーツをビシっと着こなし、
黒と白のさまざまな模様の入った粋なネクタイをしている。

中を見渡すと、清浄で落ち着いた雰囲気が漂っていて、
白い壁とブルーのステンド・グラスのコントラストがとても美しく目に映った。
正面には祭壇があり、清楚な白いユリとカラーの花が飾られ、
奥の壁には十字架とイエス・キリストの肖像が描かれている。

教会の中を彩る女性達の服装はとても華やかで、
まるでパーティーに招かれたかのようだ。
何よりも彼女達の笑顔は光っていた。
皆さん、ニコニコしながら私達のところに来て挨拶をしてくれる。
そして「ハグ」してくれるのである。
日本には「ハグ」する習慣がないので、最初は戸惑いも感じたが、
そのうち「ハグ」がどんなに大切な意味を持っているかわかってきた。

ギュッと抱きしめられた瞬間、その人の体温がほんのり感じられ、
同時に温かい心までが伝わってくるのだ。
「歓迎していますよ!」「あなたに会えて嬉しいですよ!」
という感情が言葉以上の威力を持って直に伝わってくる。
私の心はもうその時点でハッピーになり、
何かに包みこまれているような安心した気持ちになるのである。
・・・忘れかけていた温もり。
それは幼児期に、母親に抱きしめられた時のあの感覚に似ている。

そのうちグロリアさんも教会に着き、
私達は祭壇に向かって左側の最前列に一緒に座った。

教会側からいただいた冊子には、
1週間の予定や4月の行事なども記されていて、
教会が日曜日だけのものでないことがわかる。

ファーザー達が前に来て横一列になり、聖書の言葉を一人一人話し始めた。
とても厳かな空気が流れ始め、敬虔な気持ちになっていく。

オルガンを弾いているホール牧師(Reverend)がバンドのリーダーで、
彼が合図するとその場の雰囲気に合った音楽が流れる。
祭壇の左側に菊田さんとホール牧師、そしてキーボードを弾く少年がいて、
右側にドラムを叩く人が座っていた。

菊田さんのギターの音色とフレーズは、とても甘くて柔らかい。
音楽はほとんど即興的なもので、とにかく自分の耳だけが頼りという感じ。
ホール牧師が手を上げたり音を通して出す指示に、
バンドのメンバーはひたすら合わせなくてはいけないようだ。
五感を研ぎ澄ませて音を聴くことで、目に見えない何かを感じ取り、
それに合わせて演奏する。
テクニックだけではなく、鋭い感性も必要とされるのだ。

途中、教会のメンバーが「こんな辛いことがあった」と告白したり、
「このような過ちをおかしてしまった」と懺悔をする時間がある。
自己の高ぶる感情を抑えきれず、最後には叫びながら訴えている女性もいた。
まわりで聞いている人達は共感の心を持って、
「That's right!」 「 Oh, Yes!」などと大きな声で肯定の相槌を打つ。

拍手をしながら「Hey!」と掛け声をかけたり、
おもしろい話にはみんなで豪快に笑う場面もあった。

これはまさしく「コール&レスポンス」の世界。

教会は彼らにとって、連帯感を確認する場であり、
心を癒す場でもあるのだ。
そしてそれを盛り上げ、一体感を強める役割を果たすものが音楽であると思った。

男性の聖歌隊(クワイアー)が壇上に登ってゴスペルを歌い始める。
身体を揺らし、手は上下に振られ、足を踏み鳴らしてリズムを取っている。
声を力の限り出して、心を込めてみんなで歌うゴスペル。

知らず知らずのうちに私の心は解放され、まわりと同化していく。
「普段は抑制している自分の気持ちを、ここでは素直にさらけ出してもいいのだよ」
という声がどこからともなく聞こえてきた。

ゴスペルは神を崇める歌で、ブルースは世俗的なものを対象とした歌だが、
コミュ二ティーの連帯を高めるという意味においては
全く同じ役割を果たしているのではないだろうか。
どちらも「一人よがり」の歌ではなく、
限りなく人の心に何かを訴えていく「広がり」を持っている。
そしてその時表現されるものが、人間が本来持っているあるがままの感情だ。

時間は瞬く間に過ぎ、午後1時を過ぎた頃、
いよいよスターであるジョンソン牧師が登場した。

ジョンソン牧師は、礼拝前にお会いした時、
とても紳士的で穏やかなまなざしをしていた。
しかし説教が進むにつれ、
だんだん話し方や身振りがエキサイトし、神がかった状態になっていく。
彼は自らの心を徐々に高揚させ、人々に呼びかける。
それに応じるかのように、みんなの心は加熱し一つになっていった。
ジョンソン牧師の顔からは汗がしたたり落ち、
口からは絶叫にも似た言葉が発せられる。
彼の身体は震えてひとりでに動き出し、
失神するのではないかと危惧した時、
彼は身体からスッと力を抜いて、椅子にドサッと腰を下ろした。

張り詰めていた心に安らぎが訪れる。

礼拝が終わり、人々は祭壇の方に寄ってきてお互い笑顔で抱き合っている。
私達のところにも皆来てくれて、
ハグしながら「God bless you!」という祝福の言葉をかけてくれた。

鮮やかな色のスーツを上手に着こなしている少年達に目がいく。
その時ふっとエルヴィスのことを思い出した。
エルヴィスは教会へ行く時の服装も派手だったらしい。
彼は奇抜なスタイルの服を、
ビール・ストリートにある黒人御用達の店で好んで買っていたのだ。
エルヴィスの性格はシャイで礼儀正しかったにもかかわらず、
普段から脇に黒のストライプをつけた紫のズボンに白のジャケットを着るなどして、
ファッションでは周囲と全く異なるセンスを持ち合わせていた。
しかし、エルヴィスが仮にそのような衣装を着てこの教会に来ても、
誰も驚きはしなかっただろう。

エルヴィスは少年時代、白人の教会だけではなく、
黒人の教会にも密かに通っていた。
彼は熱狂的な牧師のお説教と、
タンバリンを叩きながら力強くゴスペルを歌う様子に心を奪われていたのだ。
エルヴィスの音楽を聴けば、
彼が黒人音楽から学んだものははかり知れなといういことがよくわかる。

ゲストという事で、私達はきれいなお土産の袋を教会からいただいた。
中には、礼拝の模様を録音したテープとアメ、教会の栞が入っていた。
今でもその袋は大切に飾ってある。

マウント・モライア教会を離れる時、
私はすっかりこの教会のファンになっていた。
菊田さんはこれからもこの教会のファミリーとして
バンドを支えていくにちがいない。
ロードがある時は忙しく大変だと思うが、
是非頑張っていただきたいと心から思った。

3時間にも及ぶ礼拝は、私にとって初めての強烈な宗教体験となった。
もしも私がこの地に住んでいたら、必ずこの教会に足を運んでいただろう。
この教会に一歩足を踏み入れれば、そこには「神への愛」と
「思いやりや助け合いの気持ち」で満ちあふれていることに気が付く。
教会の雰囲気は、人間の心が作っていくもの。
マリオン・ジョンソン牧師を初めとした皆さんの温かい心に包まれ、
私はかけがえのない幸せな時間を過ごすことができた。


★心に愛を持って話してくれる人。
私が感動をおぼえたのは、そういう人たちだった。
母、先生、そして説教師だ。
教会というのは・・・私のような少年にはものすごい影響力があった。
教会こそは週一番のヤマ場。
あたたかな霊的体験だけでなく、
ワクワクするようなさまざまな娯楽が用意されていたし、
かわいい女の子の隣に座れる絶好の機会だったし、
何よりも全身で音楽に浸り、今すぐ踊りたいと思わせてくれる場だった。
日曜日こそ、その日だった。
師は、まるで自分の言葉が最初から本に書いてあるみたいに語る。
言葉の一つ一つに重みがあり、引用の一つ一つに含蓄がある。
その説教は音楽のようだ。
彼の歌とギターの音が織り成すその音楽を聴いていると、
だんだんゾクゾクしてきて、立ち上がって踊り出したくなってくる。
彼が何かを言うと、会衆が言葉を返す。
また彼が言う。会衆が返す。
それを繰り返していくうちに、みんなが一つのリズムに合わせて体を揺らしだす。
それが延々と続くのだ。
<B.B.キング>

★ディープで気合の入ったブルースを歌うには、
教会に行って、そのすべてを自分のソウルに焼きつけなきゃならない。
<マディ・ウォーターズ>

★ママは教会に入るだけで泣き出してしまう。
演奏しているとき感じるのも、これと同じ気持ちさ。
バプティストとしての信仰心がこみ上げてきて、
昔バプティスト教会で見た、みんなが立ち上がって全身を動かしながら、
大声で叫んでる光景が頭に浮かんでくるんだ。
大人たちが一心不乱に叫んでいる姿に感動して涙が溢れてきたら、
それは涙に姿をかえた精霊たちだと教えられたものさ。
<バディ・ガイ>

<04・06・11>










Mt. Moriah BAPTIST CHURCH














Shun & Pastor Johnson